ゴスペル
ゴスペルはもともと黒人音楽としてだったが、今や世界中の人が歌い楽しみ歌声に感動します。
レゲエもそうで、1つの国発祥音楽が世界に広がりました。
文化って形がないからこそ、盛衰があるものだと思います。とくに芸術とかは。時代や環境の状況によって、伝播の勢いがあるけれど、デジタルがない時代にこのように広がったのは、やはり人に訴えるものがあったからではないかと思います。
いいですよね。このように歌で表現して、人を感動させる才能があるのは。
さぁて、私は何で人を感動させられるのかしら。
つな缶
被写体と撮る人
写真学科の課題の被写体になりました。課題は白黒写真です。
こちらの写真は被写体から見た景色です。何度も何度も構図を確認し、私の位置を指示していきます。私服と、合気道で撮られました。全身とアップの写真です。非常に天気が良く、ゆったりまったりおしゃべりしながらの撮影は3時間くらい。頑張れ!
そして私のバックは両サイドが畑の一本道。ここ、学校の裏なんです。都会にはない、魅力です。
最大の魅力は、写真を撮った友人にあります。彼女はおかめさんのような白い肌、日本美人の細い一重と、小さな口で可愛らしく、おっとりとした性格です。しゃべる速度も、考えながらゆっくりゆっくりしゃべります。私もつられてゆっくりになってしまう。いつもせかせかしている性格の私が、このおっとりとした友人と上手くいくのかと、自分自身が思いましたが、かなり落ち着きます。癒されます。イライラしていて、相談したら、ゆっくり答えてくれます。いい性格の持ち主です。素敵な写真家に撮ってもらえて、光栄でした。
つな缶
ラヂオの娯楽
高校卒業して、私の娯楽はラジオだった。
毎日、ルーティンで勉強する私にとって、ラジオも番組がルーティンで相性があっていた。
ラジオは耳を、傾けるだけで楽しめる娯楽。合間合間に流れてくる音楽が、私を世間の流れに引き止めた。
どうでもいいネタの宝庫が私のアンテナを刺激した。
ラジオは沈黙が放送事故。CM開始の1秒前までしゃべり続けるパーソナリティの会話力に圧倒された。
テレビは目でみて、耳で聞く。
ラジオは耳だけの娯楽。
なぜ、こんなにも耳からの情報で、楽しめるのだろう。
つな缶
滞り。
いつもどうり下書きにためた記事を毎日更新しています。この記事を書いているとき、ちょうどレポートの山場です。
創造作品の提出だったので、授業での教授の発言は一切役に立ちません。
考えます、自分で紡ぎ出します。
で今はネタ切れの休憩時間にブログを執筆というわけです。
この映画を観ました。背中が物語っています。是枝監督が映像で切りだす人間の姿は、ありそうでなさそう、でもやっぱり日本のどこかにこういう家族っていそう。
毎回このような気持ちになりそう。
時にグサッときたり、泣いたり、嬉しかったり。登場人物一人ひとりの気持ちに移入してみる時間があります。
誰もなにも変わらない現実を生きて、そのままエンドロールな映画も悪くない。
つな缶
oftenのように発音するオフトゥン
いやぁ、まいったまいった。
1限チャレンジ失敗中です。
原因はオフトゥン、おふとん!!
寝る前に足元の電気あんかをセット。寝落ちする瞬間に電源オフ。明方、足元が寒い。ガサガサしながら、電源オン。じゅわぁ〜と温まり、熟睡。アラーム無視。
Sayonara 1限!
つな缶